村岡昌憲の大会参戦記。

トップへ戻る area
 
Battle
 
 

トップへ戻る >>> Battle -村岡昌憲の大会参戦記->>>2001年2月25日TSC第1戦

2001年2月25日 -TSC第1戦-

 

 

今年もまたトーナメントの季節が始まった。僕にとって最初のトーナメントはTSC第1戦。

ご存じの通り、ボートのトーナメントである。ライブフィッシュ3本の叉長の総全長を競うこの大会。

昨年は惨めなほどふがいない結果だった。自分の精一杯の力を出して頑張ったが、年間総合優勝の葉多埜氏、準優勝の森田氏に足元にも及ばなかった。彼らがすごいのは自分で操船もしながら釣りをしているということ。バスのトーナメントであれば当たり前のことなんだろうが、風が強く潮も流れる海の上でその2つを両立させるのは難しい。

船長に操船してもらって前で釣りをするタイプのプロもいる中で、彼らの勝利は圧巻といった感じであった、そして僕に一つの教訓をもたらした。

それはリアライズ。具現化する力である。船長は自分の中で釣りのイメージを描いて操船する。釣り人は船長の意図を汲み上げて釣りをする。これがかみ合えば一人で操船と釣りを両立させる選手に比べ、圧倒的に効率がいいし、負担も楽になる。

しかし、昨年のリザルトを見る限りでは、船長と釣り人のコミュニケーションが一致する事は大概においてあり得ない事がわかった。葉多埜氏、森田氏の安定感がそれを物語る。ほとんど毎日海にいて状況をよく知り、潮の読みも釣りの腕も一級品の2人に、チームメガバスは惨敗を繰り返した。

その中で思ったこと。やはり僕も一人でチャレンジするしかないということだ。昨年の体制では相当に頑張らないと2人に食い下がるのは難しいと考えたのだ。

勘違いしないで欲しいのは昨年、ボートを提供して操船もしてくれたINKSNOWの濱本船長や一緒に戦う児玉プロがダメだということではない。濱本船長は魚を釣らせるのがかなり上手な船長だ。負けず嫌いで情熱も多分にある。しかし、僕の力が足りないせいで僕は濱本船長の頭の中にある釣りをどうしても具現化できなかった。それは僕が実際に自分でボートを持っていて操船しながら釣りをすることができたという事も一因だった。普段釣りをしているエリアが一緒なだけに僕と濱本船長のボートポジションのズレがどうしてもとまどいを生んでしまう。このポジションはどっちが良い悪いということではなく、タックルや使うルアーで決まるもの。その辺のズレを直すほどの上手さが僕にはなかったのだ。

児玉プロとのコンビに関しても悩みに悩んだ。何しろ釣りに関しては全てにおいて僕より上手いのだ。足りないのは経験だけだからヒットパターンが見え始めると手がつけられない。彼が攻めた後から僕が魚を出すことは難しかった。もちろん魚を出すには出せるけど、それらの魚が葉多埜氏、森田氏と勝負できる魚では決してなかった。

結果、僕と児玉プロの良いサイズ3本を合わせたら結構いいとこいったのに、といった展開が多くなった。

そんな形で今年は1人で出られるなら参戦。誰かと組んで出なくてはいけないようなら不参戦と心に決めて各メーカーに伝えた。もちろん自分のボートで出られれば最高なんだが、僕一人のものではないし仲間もトーナメントに強い意気込みを持って参戦しているので一人で出たいなんてわがままは言えない。

そこでボートを貸してくれるところ探したら、アングラーズスタッフにレンタルボートサービスってのがあった。色々なコースがあって会員になれば格安でボートが借りられるという話に僕は飛びついた。しかし、世の中甘くない。貸し出せるほとんどの船はトーナメント参戦者で予約がいっぱいとのことだった。

その他、色々手を尽くしたがそんなうまい話があるわけでもなく、僕は不参戦を覚悟した。そして釣り博翌週のボートショー、まさか自分用に2艇目を買うほど金がある訳ではないが、仲間と共有するボートも3年目。そろそろ次のボートにアンテナを張るぐらいはと思って出かけてみた。

トーハツブースでアングラーズスタッフ亀石氏と会った瞬間に何かが動き始めた。トーハツブースで展示してある船のうち1艇を翌週に東京湾に降ろして改装する話がちょうど決まったところだったらしく、TSC当日は船がアングラーズスタッフにあるから、もしそれで良ければ・・・という事になったのだ。

 新艇だが、通常の値段で貸してくれるということだったので、僕はそれに掛けてみることにした。そして参戦が正式に決まったのは1週間前の話だった。

 早速準備にかかると同時に僕は厳しい戦いを予想した。年度末で本業もすこぶる忙しい。予算の余った官公庁が次から次へと引き合いを出してくる。

 トーナメント数日前の水曜〜金曜日に大阪の国立循環器病センター〜福島のアサヒビール出張という大仕事が控えていた。

そして土曜日には友人石井氏の披露宴&2次会。十分なプラクティスはできそうもない。しかし、プラ無しでのぶっつけ本戦で勝てるほど甘くない。でも、せっかくつかんだチャンスだ。今年出られるのは今回だけかもしれない。そう思って不眠の覚悟で挑むことにした。

 唯一予定の開いていた空いた火曜日の午前中にプラをして、僕の勝負エリアに魚がいることを確認。

水曜から大阪へ。出張中は極力体力を充実させることを優先させ、たっぷりと睡眠を取って金曜日、出張から帰り次第プラに出かけた。すでに夜でトーナメントとは全然関係無い時間帯であるが、湾奥から横浜にかけてのエリアに魚がいるのかいないのか、それが知りたくて北風が強く小雨の降る中を一晩中、あちこちを釣り回った。

しかし、湾奥にも川崎・横浜にも大きいサイズの魚はいなかった。状況は非常に厳しい。

そして夜が明けて朝。いったん給油と食事のためにマリーナに戻った僕はトーナメントの潮時に合わせて8時にマリーナをスタートした。最後のプラクティス、ここで勝負するエリアを決めないといけない。

今後も僕がボートを借りるという都合のいい条件を主張して参戦していくには結果を出さないといけない。狙うは優勝。もちろん去年からそうであったが、今回は優勝かノーフィッシュかという極端な勝負をするしかないと考えた。

それならばシャローしかない。中防のシャロー、羽田のシャロー、葛西のシャローと回ったが魚は出ない。その頃から僕の体に強烈な悪寒が走り始めた。寝不足か?いきなりの長いボートシーバスに体が疲れているのか?原因は判らないが体のだるさが増すばかり。寒気もすごい。一尾の魚も出せないまま、いったん僕はマリーナに戻ることにした。

家に帰って落ち着くとどうも熱っぽい。体温計で計ってみると38.5℃を示した。やばい。風邪を引いたのか。焦りばかりがこみ上げるが午後は披露宴、夜は2次会だ。一度決まった日取りを僕の予定の為にずらしてまでくれた石井氏の披露宴だけはバックれる事もできない。少しでも回復したい。わずか1時間だが睡眠を取って石井氏の披露宴に出かけた。

幕張での披露宴と2次会。新郎以上に新婦を長年見てきた僕だけに感動しきりの良い式だった(2人ともお幸せに)

お努めも終わり、いよいよTSC本戦を残すだけになった。体は以前だるさを訴える。熱だろうと下痢だろうと何があっても参戦はするが、このままではまともな戦いにはなりそうもない。少しでも良い状況で闘えるように直したい。

そんな思いが通じたのか、2次会に出ていた僕の友人が友人の医者を呼んで我が家まで診察しにきてくれてくれたのだ。明日のトーナメントまでに少しでも状況が良くなるために色々と成すべき事を伝授してくれた。その時点で38.2℃。点滴で抗生剤と栄養を血液に流し込む。


点滴を打ちながら当日メインで使うだろうハチマルのバーブを全て潰す。

「あとは寝るだけです。」

そう言って医者は自信満々で帰っていった。翌朝、ぼくは前日とうって変わって見違えるほどに体力を回復していた。

医者ってすげぇ。

もちろん微熱はあるがどうって事はない。体温を測るのはやめた。下手に熱があるのを自覚しない方がいい。5時間ならいける。確信して家を出た。

おっとその前にHPをチェック。掲示板で安藤さんが気になることを書いていた。「海動、大型爆釣!」と。

でも、僕は千葉で勝負と決めていた。脇目もふらず迷わず行く。そう決めたのだ。ということで、海動は千葉っぽいなと思いながらも気にしないことにした。

今回のプランを考えた。天気予報で3時間予報の風向きをチェック。12時にはかなり強い北風が吹き出すらしい。

9時にスタートして10時に袖ヶ浦につく。そこからシャローを撃って風が吹くまで撃ち続ける。2時間あったら60が3本は揃う。風が吹いたら湾奥に戻って3番瀬辺りのシャローを流してサイズアップを図る。そんな感じの展開を考えた。おそらくキビシイ戦いとみんなが自覚している。優勝ラインは180〜200前後と考えた。なんとか1本70が交じれば、優勝できるかも。

準備を済ませて会場に着く。昨年は全戦乗ってくれた釣りビジョンも、今年一人で出る僕の船には乗らないようだ。そりゃそうだろう。メガバスは児玉・増田両プロの乗船だ。そっちにカメラが乗るってのが普通だ。

代わりに僕にはルアーニュースのカメラマン。そして9時にスタートフィッシング。抽選で6番スタートとなった僕は5番スタートのメガバスチームのすぐ後に出撃した。しばらく併走してお互いの健闘を誓ってスタート。(と言いつつ火花がほとばしっていた気が・・・(笑))

迷わず袖ヶ浦を目指して走る20分後、予想もしない事態が訪れた。いきなりボートのハンドルが取れたのだ。慌ててハンドルを見ると21ミリぐらいの大きなナットがゆるんでとれてしまったようだ。まずい!リタイア?

焦る。とりあえず工具を探す。しかし、ボートにはドライバー1本も無かった。途方に暮れつつも、とにかく船を探して工具を借りるしかない。見渡す限り船はいない。

海動!

突然、朝の書き込みを思い出した。大型が揃うってことは千葉以外無い!って事は僕のいるエリアと同じかも。もしかして近くにいるかもしれない。そう思って電話をする。

「おっはよー村岡くん?今?千葉ですよー。あー今ね〜75出たとこ。」

と、相変わらず陽気な答え。こっちは悲惨だというのに・・・悲惨な状況を伝え、居場所を確認して工具を借りに行く。ハンドルは指先の握力でわずかながら曲がる。まっすぐ走ることぐらいはできる。

20分後、海道にぶつかるようにたどり着く。

「朝はねぇー、すごくてねぇ。今はもうポツポツだけど〜。」

、と言いながらすでに40本前後も釣れたそうでお客さんも全員和み顔だ。取れたハンドルを見てこっちの状況が判ったみたい。みんなでウケていた。

こっちもトラブルの解決が何とかできてようやくほっと一息。なんとか闘えそうだ。


実際はしゃれになりません。

ちなみに新艇はこういうトラブルがあるのでいきなり実戦で使うのはやめましょう、ということです。
(頼むよトーハツさん!)

このトラブルで1時間ほど無駄にしてしまったが、まさに海動がいたそこが釣れているのであれば渡りに船。ハンドルが直ると同時にさっそくその場所でやってみることにする。

ふと時計を見る。まだ10時。あと3時間はある。シャローをめがけてバイブレーションをキャスト。3投目にいい感じのバイトがある。しかし、フックアップせず。そこに2艇のトーナメントボートが遅れてやってきた。先に来た1艇は同じラインの後ろ側に入ってバイブレーションを打ち始める。やはりこのパターンが見えている船がいるのか。

次に信じられないことがまた起こった。次に到着したH屋はなんと3艇の間を縫って走り、海動のお客さんのラインをブッチギって僕とシャローの間に入ってシャローを撃ち始めた。

「おいおい、何考えてんだ!ルールブックちゃんと読んでないだろ。」

トーナメントルール違反もそうだが、海の釣り人としてのマナー違反にむちゃくちゃ腹が立つ。老舗の釣船屋だからってやって良いことと悪いことがあるだろうに。普通はちょっと遠目から先行者がどんな釣りをしてるかみるもんだ。こっちはバイブレーションフルキャストでシャローを撃っているのに目の前に入られたら話にならない。しかもH屋、シャローを右に左にさんざん走り回ったあげくどっかに行ってしまった。その後は魚の反応すらなくなってしまった。むきー!もうカレイ船乗ってやんないからな。昔、アナゴとカレイでさんざん乗った船宿にがっかりさせられたが、これもトーナメント。腐っている暇はない。とりあえず袖ヶ浦に向かった。

袖ヶ浦一帯のテトラ帯。今回、僕が勝負を掛けていたポイントだ。ここのシャローを撃ち続けて3本揃えればいいとこ行くのではとの打算があった。

時計を見ると11時。帰りの時間を考えるとあと2時間しかない。さっそくハチマルを撃ち続ける。20分ほど流すが反応がない。おかしい。魚がいない?

いないとすればここが風裏だからか。前回ここにきてあっさりと3本釣れた時は弱い南西風で風表だった。どうするか悩んだが、他で釣れないのはもう判っているし、移動時間を考えると釣りができる時間も残り少ない。天気予報では北の風が吹くと出ていた。北になれば風表になる。このシャローに勝負を預ける。そう決めて流し続けた。

20分後、とうとう風の向きが変わった。弱い南東から北に。天気予報では北は強くなると言っていたのであまり長くいるとここは大荒れになってくるかもしれない。しかし、風表。出るのか出ないのか。

「風表に変わったからきっと喰いが立つよ。」

半分、僕自身の願いともいえる言葉をカメラマンに向かって投げかけて5分後、初のバイト。

ゴンゴン!

しかし、乗らない。

リトリーブが早すぎたか。だんだんと強く吹き始める風に焦りつつも、なんとなくパターンをつかんだ気がした。いよいよ岸際は荒れ模様の気配を見せ始めた。

その直後、ハチマルをシャローに引っかける。岸際まで近づいてハチマルを外したとき、初めて底の地形をまともに見た。それは単なるゴロタ場でなく、水深2mに高さ1mのトウフ石がゴロゴロと沈んでいる地形であった。

底がカケアガリだと思って攻めていた僕は攻めるパターンを変えてみた。昔、青海でさんざんやったラパラで沈み根についた魚を浮かせて捕る方法。それは昨年はハチマルが変わって取ってくれた。ハチマル開発時にさんざんやった釣りだけに僕がハチマルを使う際に最も得意とする釣り方でもある。

船をもっと沖側に付けて、岸際5mにキャスト。魚はブレイクではない、水深2〜4m前後に沈んでいるトウフ石の影側に付いている。岸側から日があたるので石の深場側に付いているだろうシーバスを絶妙なフラッシングを醸し出すリトリーブスピードで誘い続ける。スローにかつ悩ましく。そしてそのスピードが最も脱軌道アクションを頻発するスピードだ。レンジは1〜1.5m。

10投ほどした時だった。いよいよ体が覚えている夜の釣りが真っ昼間のシャローで再現された瞬間。コンコンと吸い込むようなバイト。一回竿先を送りこんで吸い込ませてから最初スイープに途中から力強くアワセを叩き込む。

乗った!

強烈にロクテンをぶち曲げトウフ石の間に逃げ込もうとするシーバスをロッドパワーで上に浮かせる。同時に船の後進を強めて魚をシャローから引きずり出す。深場まで連れ出してから今度は潜らせてファイトさせる。

「タモ網ですくいましょうか?」

「いい、自分で捕るからタモ取ってくれますか。」

そうカメラマンと会話した瞬間だった。

「タモ網ありませんよ。」

何ぃ!?無い!タモ網が無い!ハンドルのすったもんだの際にいつの間にか船から落ちたのか。

なんてこった。絶望しつつも何が何でも魚は捕らなくてはいけない。

そこでぶち抜きを試みる。まず魚のフッキング状況を確認する。こういう時はまずい状況が重なる。なんとテールフックがたった一本かかっているだけ。魚は70センチ近い。そこで海が荒れていることを良いことに船の後ろから波とタイミング合わせてぶち抜く。船の後ろが沈んだ瞬間に魚を頭半分出してテンションを掛ける。魚がエラ洗いした瞬間に一気にテンションを掛けて魚にジャンプさせる。魚から岸の上に上がってもらうあのゴロタ場ランディングだ。普段、ロクテンで葛西や辰巳のゴロタ場でさんざんやっていたおかげで助かった。

どどんと1本目。サイズも計らずにイケスに放り込む。

パターンが見えてきた。その次のヒットまで3投しかからなかった。フラッシング&脱軌道で誘い続ける。ルアーが3mぐらいのブレイクを抜ける瞬間だ。またもや吸い込むようなバイト。一回送って一転叩き込む。まさに夜の明暗部のアワセ。体がなんのためらいもなくアワセを決めた。

バッドからねじ曲がるロクテンがさっきと同サイズであることを告げている。船を沖側に離しながら、また抜きあげランディングを試みる。今度もまたテールフック一本。しかし、フッキングが薄すぎた。頭半分出たところでフックが外れてしまった。魚は水面で横になっている。迷わず手を突っ込んで魚をつかむ。魚も我に返っていきなり泳ぎだした。背中から細くなっているボディを滑らせるようにして魚は僕の手をすり抜けていった。残ったのはざっくりと切れて出血した僕の左手だけだった。

痛恨のバラシ。

カメラマンも絶句。嫌なムードが充満したが、「まだ出る。」と、自分に言い聞かせるように釣りを再開。

フッキングがテール一本なのはおそらくまだリトリーブが早すぎるからだ。

更にスローリトリーブに切り替える。すでに昼のシャローの釣りではなくなった。ハチマルがフラッシングを起こす最も遅いスピードでリトリーブする。

喰う場所はもう判っていた。欲しいのは余裕。心なしか右手が武者震いで震えている。妙に力が入らない。カメラマンにそんなことを話しつつも、バラシからわずか2投目。また同じようにバイト。

全く迷いのないアワセから50センチをランディング。

そして次はたったの1投だった。トウフ石からぬっと出てきて、「待て」と喰う。そのタイミング。竿を送ってルアーをしっかりと食わせてからアワセを叩き込む。硬いロクテンにPEライン。神経が完全にフックまで到達し始めた。アワセた瞬間にフッキングの状況までもが脳裏に浮かぶほどに感覚が研ぎ澄まされる。口の中からがっちりかかっているはず。そんなシーバスを抜き上げるのに必要な事は迷い無き心だ。速攻で寄せて豪快にぶっこ抜く。

叉長で71センチ。



これでリミットが揃った。風もいよいよ強くなってきた。沖で白波が立ち始めている。ファイト中の間に一通りシャローを流してしまったので、もう一流しするか、それともウェイイン場所に戻るか考えた。ここは袖ヶ浦、向かい風では僕の船でも2時間はかかるだろう。今回の船は更に小さいし、何しろ慣れない船だけに帰りの時間は読めない。時間は11時40分。

「10分だけやろう。それでダメならあきらめよう。」

そう決めてもう一流しすることにした。そして流すこと3分後、前の魚同様スローリトリーブにコンコンとバイト。スーッと送り込んでアワセを叩き込む。豪快にバッドからロクテンを曲げていくサイズも先ほどと同様っぽい。これを捕れば勝てる。そう思って必死にファイト。アワセは完璧だったはず。多少強引に寄せてフッキングの状況を確認する。一瞬浮いたシーバスを見るとルアーを飲まれてしまったようだ。かろうじてリップが見えるけどあまり長引くファイトは危険だ。寄せて一気に抜き上げた。幸いエラにはフッキングしていなかったので蘇生成功。

叉長で67センチぐらい。

入れ替え成功で60UP2本、70UP1本が揃った。

「さあ、帰るぞ。」

ますます強くなる北西風に帰りを急ぐ。

風を突っ切って走り始めるが全くスピードが出せない。そろそろ給油もしないといけないだろうし、ということで、一度幕張方面に向かってかっ飛ばす。横波横風を受け波しぶきでビシャビシャになりながら60分で幕張へ。

この船はイケスが貧弱なので滑走するとイケスの水が全部出てしまう。走っている間はイケスにふたをして走り、20分おきに止まってバケツで水を入れ替える作業。海はいよいよ大荒れ。魚を殺すわけにはいかない。走ると水がイケスから出ていく。そんなジレンマをなんとかこらえながら帰る。

そして途中、とうとうバケツまで飛んでいった。激しく叩き付けられる船体にしがみつくのが精一杯でバケツなんか見ていられなかった。時間的にも間に合うかどうかギリギリだ。もうここまでトラブルが来ると、何がなんでも帰ってやる。ひとりで海に怒鳴りながら船を走らせる。

水の入れ替えもできなくなったから、今度は微速前進で進みながら水を循環させて、また蓋をして10分間かっ飛ぶ。この繰り返し。時間ばかりが無情に過ぎていく。間に合ってくれと何度も口にするほど、向かい風は強かった。

幕張からは風裏でまだ水面が荒れていない岸際をかっ飛ばす。最後、砂町水門の直前。いきなりエンジンストップ。見るとガスがない。予備タンクからガソリンを補給して再度走り出す。

そしてウェイン締切10分前にやっと到着。結局、帰りは予想通り2時間近くかかった。時間も精神もギリギリの勝負だった。あと10分向こうを出るのが遅かったら・・・。そう思ったとき、背中に寒気が走った。

そしてウェイイン。昨年悪夢を繰り返したデッドフィッシュ判定も無く、202センチ。

表彰台は堅いと思って後を待つ。みんな予想通り苦戦したようだ。

そして優勝。みんながおめでとうと声を掛けてくれた。本当にありがとう。

今回の優勝で得たものがあった。最後まであきらめないこと。今回は次から次へとトラブルが襲いかかった。それを全て克服しての勝利だった。そして支えてくれた多くの友人たちに感謝したい。船を貸してくれたトーハツ、アングラーズスタッフにも最高の結果で恩返しができた。

「ひとりで出たい。」

昨年から叫び続けたこの言葉が現実になり、最高の結果をもたらしてくれた。

こんな僕でも優勝できる力があるということはようやく、しかもたった1回だけど証明された。しかし、次の船のメドは立っていない。粘り強く探し続けて行くが、もしかしたら第2戦の参加はできないかもしれない。それでも僕は誰かと同船して出ることはもう無いと思う。僕は普段から船を操船しながら釣りをする。それ以外の方法ではもう自分の釣りはできないのだ。

海の安全を考えると一人の航海は危険だから慎むべきだとの声もあるが、今のルールでキャプテンと選手以外に人を乗せることはできない。

今後、また出る機会が得られる時はきっと多くの人の協力で成り立つのだろう。その時はまた全力を持って挑みたいと思う。


応援ありがとうございました。

 


勝利に浮かれての執筆ということで、文中に失礼な文面・表現がたくさんあったかと思いますが、多大なご理解とご寛容のほどよろしくお願いいたします。

 

 

そして焼き肉。道中、重量にして3キログラム近い塩を浴びせて白人のようになったカメラマン氏にお礼とお祝いを兼ねて一緒に焼き肉を食いまくった。

やがて、仲間が結果を聞いて集まり始めた。夢中でトーナメントの話をし、段々と話は釣りの話へ。

バチ抜けを知らないという一人に最高のバチ抜け見せてやるよ。と、隅田川へ。

予想通り、ウン億いるのではというバチ抜けが佃島では起きていた。静かにそして尊くバチは川を流れていく。

塩だらけのまま陸っぱり。


すでに顔が熱で赤いが、本人全く自覚無し



0時を過ぎた頃、家に帰る。

もうクタクタだ。体温計を見つけてちょっと計ってみる。38.1℃。

う〜ん。

僕は気絶するように布団に倒れ込んだ。

 

 



 


©Copyright 1997-2006 Tokyo-Seabass-Net.All Rights Reserved.