村岡昌憲の大会参戦記。

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トップへ戻る >>> Battle -村岡昌憲の大会参戦記->>>2001年6月24日TSC第3戦

2001年6月24日 -TSC第3戦-

 

 

仕事がむちゃくちゃに忙しく、なかなか思うように釣りに行けない中、TSC第3戦の時期が近づいてきた。

以前に書いた通り、僕は自分で操船し、釣りをするのが自分流のスタイルで、それで勝ってこそ意義があると書いてきた。昨年の年間1位の葉多埜氏も2位の森田氏も、みんな自分で操船して釣りをする。一見すると不利なようだが、実はこれが最強に近いと考えている。大荒れの天気になると確かに操船は大変だが、そうでない限りは釣り人としての意志とボートのポジションが一致する方が釣果は圧倒的に出やすいのだ。

だから誰かと一緒に出る、とのならば出ない、と書いた。

そんな訳でヤマハとの交渉をしてきた訳だが、まだ出る船がないままにここまで来た。

第2戦はルアーフィッシング情報の誌上トーナメント参戦のために欠場したこともあって、ポイントランキングは1位から9位に落ちた。しかし、落ちたことによって心境の変化が訪れた。

勝ちの呪縛から離れて楽しんでやってみようと思ったのだ。

チーム名はメガバスマリンエンジニアリングだけど、僕と仲間で、自分のボートで出場する。

もちろん狙うは優勝だけど、すでに一度勝ったことにより、自分の中の勝利への呪縛が解き放たれたことが大きいのかもしれない。ということで、仲間と一緒に出ることにした。

 

そんな中、木曜日早朝からプラクティス開始。出社前にちろっとやる程度のプラだが、最近行っていないだけに状況は把握しておきたい。まだ暗いうちの川筋で簡単に180を越えるスコアがたたき出せることは知っていた。今回のトーナメントスタートタイムは4時。まさに朝マヅメの始まる瞬間である。明暗の境目が消えてしまえばこのパターンは消滅してなくなる。

暗いうちにポイントに入る。2投目から63。相変わらずいい感じだ。ここなら5分で3本のリミットが揃うことは間違いない。そこでもう1本50後半を取ったところで、ポイントを休ませることにした。そして4時に会場の芝浦をスタートしてかっ飛ばして到着する予想時刻まで待つことにした。そして4時○○分。朝マヅメのギリギリの明るさの中でキャスト。しかし、明暗部のパターンは完全に消滅。ここのパターンは使えない。そう結論を出してここでの戦いはやめることにした。

 その後は湾奥方面を回り、15本程度魚を捕ったもののサイズが伸びず。3本の総全長で155。これくらいの魚は今の東京湾にごまんといる。この辺は特におそらく1センチ単位で順位が激しく変わるぐらいだ。でかい魚を確実に捕るポイントを押さえなくては。そう思いながら会社へ向かう。

 

 金曜日は横浜川崎シーバースの大谷氏とプラ。大谷氏はキャプテンとしての参戦だ。まだキャリアは3年だが、操船も実に上手になった。余談だが大谷氏を選手として登録するかどうかはすごく悩んだ。しかし、今回は大潮まっただ中の開催。潮止まりを挟むものの、一気に200センチも潮が引く下げ潮時に確実に船を止めていられること。これが重要と考えて、大谷氏にキャプテンになってもらった。ま、この日はプラなので大谷氏にも釣ってもらう。

まずは朝マヅメの中防などを攻めるがどうにもイマイチ。数は出るもののサイズが全く出ない。釣っても釣っても50センチ以下で終いにイヤになっていく。次に多摩川へ。ストラクチャー周りに魚が見えない。ここはシャローもたくさんあるのでじっくりと攻めたいところだが、出社時間も近い。早々に見切って川崎へ。

川崎の某ポイントではリアルの森田さんと遭遇。近づいていって笑顔でお互いの腹のさぐり合い。いくらでもキーパーは釣れるけどサイズは伸びないという点で一致した。

別れてからふと気になったことを大谷さんと話し合う。大谷さんも同じことに気がついていたらしい。

それはポイントに対し、森田さんの船の付け方と付けていたルアーがとても不思議な状況だったことだ。

「あそこであの形で船を付けて、○○を投げるのか?」

「僕らに見えない何かが見えているんでしょ。」

そう話し合ったが、見えないものを狙っても仕方がない。東京湾屈指のプロガイドのやることは真似してもできるもんでもないし、理解しようとしてもできるもんでもない、そういうことにした。

 

帰り際に少し沖合を滑走していると、鳥山を発見。スモッグでかすむ千葉側の景色にうごめく雲のようにカモメが群がっている。その鳥山をチェックしてみることにした。

鳥山に到着すると相模湾や沖の瀬を彷彿とさせる豪快なナブラ。水面を割っている魚は何か。僕と大谷さんに同時にヒット。正体は40センチ近いサバ。これはなかなか旨そうだ。

大谷さんは速攻でキープ。僕は出社しなければいけないためにあきらめた。下にシーバスの反応も出たために何とか出せないか頑張ってみたが、ダメ。絶対にシーバスもいるんだけど、サバが唸っている間はそう簡単には魚を出せない。あれこれ試行錯誤していると海動がかっとんで来た。

「おらおらおら〜!」

てな声が聞こえてきそうな操船で、お客さんに叱咤激励を飛ばしている。すぐにリアルも登場。

「まあ、目がいいこと。」

僕と大谷さんは脱帽気味にその鳥山を後にした。

その後、沖の数ヶ所のストラクチャーを叩いて、最後に湾奥に戻って川筋のシャローを打ってみる。

そこでもサイズ不明のワンヒットのみ。

 

結局、この日は56/53/47の156センチ。惨敗ムードが漂いだした。

プラは明日一日しかない。大谷さんと明日の作戦を練ってから解散。

 

そして前日。最後のプラ。

朝一に川筋に入る。上げ潮が効いている時間にどうかなと思ったが、40センチ級ばかし。

そこで一気に移動を決断することにした。

場所の詳細はトーナメント後とするが、移動した先には予想通りに大型の群れがいた。

水深3から10mに落ちるブレイクライン、バイブレーションをフルキャストしてからのスローロール。

陸っぱりで覚えたこのテクニック、ボートでも得意中の得意である。

このパターンに大型が次々とヒットした。

心配だったのは潮止まりだったが、渋くはなるものの10分に一度バイトがある。

それを取っていってこの成果。数は30本程度であったが、大型がかなりの確率で混ざった。

70後半の取り込み寸前のバラシもあったけど、結局ランディングしたのは

72/63/60の195センチ。このサイズが揃えばかなりいいとこ行けるのではないか。

そんな最終日のプラとなった。

 

 

これが最大の72。全長だと75センチあった。

しっかりとマリーナに持って帰ってきて、9時20分の検量時刻に検量もシミュレーション。全部が合格だった。

 

気がかりなことが3つ。

移動時間、そして潮の動きが50分ほど後ろにずれること。僕の予想では勝負できる時間が1時間半しかないことだ。

そして同時にここ以外で魚を見つけられなかったこと。

最後に順調すぎること。僕はどうも追い込まれないと力を発揮できないタイプのようだ。それが壮絶であればあるほど過去に力を発揮し、様々な大会で結果を出してきた。今回はすこぶる順調。天気も良く風もない。これが一番気がかりである。

 

第1戦と同じく、一発勝負の大バクチとなりそうだ。

大谷船長とともに挑んできます。

 

 

 


6月24日

TOKYO BAY SEABASS CHARENGE 2001 第3戦 

 

 

と、いうことで翌日TSC第3戦が始まった。今回は薄曇りのベタナギという絶好の釣り日和。

出船前に顔なじみの連中と話をして回る。みんなイマイチ大型が明確に見えていないことが不安な様だった。

それは僕たちも一緒だ。昨日は釣れたけど今日はダメってことは良くある話。東京湾の真ん中で風に吹かれて行ったり来たりしている赤潮のエリアも問題だ。これが湾奥に来たらちとやっかいだ。

 

隼人さんと林さんも今回は良い魚を見つけているみたい。元気そうに飛び出していった。

 

東の空が薄明るくなり始めた瞬間に、スタート。各自順番に運河を飛び出していく。

うちは11番スタート。真っ先に中央防波堤に急いだ。

見えていたパターンはこの一つだけだった。南風と上げ潮、同じ向きとなって一つの岸壁に当たる。

そこに船を付ける。いわゆる壁打ちだ。潮表と風表なので油断するとあっという間に岸壁に押しつけられてしまう状態だが、大谷さんの巧みな操船でつかず離れず船を止め続ける。僕はハチマルとリップレスベイトのローテーション。どちらもスローロールでレンジを探る。このパターンで最も重要な要素は魚がいるレンジだ。そのレンジの上を通してバイトを誘うことが重要だ。

どれぐらい上を通せばいいかというと、これは潮の要素が逆に決める。濁りがあれば小さくなり、透明度があれば大きくなる。しかし、透明度があっても光線量が多ければ小さくなってしまう。

そんな中、昨日つかんだパターンは4mラインのスローロールだった。魚が何mにいるかは知らないが、おそらく水深6mのボトムラインにステイしていたのではないかと考えていた。

開始直後、まだマヅメの明るさであることもあってハチマル主体で水深1.5mレンジを狙ってみる。1投目、ヒット。が、足下でばれてしまう。40センチ前後だった。

その後、反応がない。昨日に比べて反応が悪い。おかしい。

そう、思ったが僕らにはこれしかないのだ。と、言い聞かせるように黙々と撃ち続けた。

その後、40センチ級がヒットするもののまたもやバラシ。やはりトーナメントになると何かが狂う。これも1本取るまでだけど、産みの苦しみが必ず来る時間帯がある。

4:20に再度ヒット。今度は大きめだ。45センチを激慎重にキャッチ。まずは1本目。上出来上出来。

ここで、気を落ち着かせることを目的にリアルゴールドを一気にグビリとやる。

再度キャストを始める。

4:30にだいぶ明るくなってきたのでリップレスベイトにチェンジして、水深3mラインをスローロール。

陸っぱりの場合は適度なリーリングのリズム変化をしてやることがバイトへの誘いとなるのだが、ボートの場合これは禁物であることが多い。どちらかというとボートの揺れがその辺のリズムを作り出すのである。しかもそれは波が作り出す自然の揺らぎだ。これを利用しない手はない。

ということで、ひたすら一定のリズムで引いていたところ、コンとバイト。

竿を一瞬送って合わせると、乗った。ドラグを引きずり出して走っていく。

これはまずまず良さそうだ。

ロクテンとPEラインという僕の最も使い慣れたタックルで慎重にファイトする。

大谷さんがさっと出したタモ網に収まったのは叉長59センチのナイスキーパーだった。

速攻でイケスに放り込む。

 

4:45に同じくリップレスのスローロールで50センチをキャッチ。

これでリミットメイク。155センチ。これで大負けはない。

魚の状態を確認する。腹を浮かせていた個体もいたが、蘇生をして回復してもらう。

 

 

僕にとって昨年のTSCはあまりにもむごい結果が多すぎた。

設備の貧弱さと魚の知識がないばかりに大きい魚を釣ってもデッドにしてしまう失敗を繰り返した。

ライブフィッシュ制というTSC独特のルールは時にこの点で批判されることが多いと聞く。でも、これは未知への挑戦である以上、僕は多少のデッドは致し方ないと思っている。デッドフィッシュが出るときは大量に出る。会場の潮が悪いと外部循環式のイケスの魚はみんなひっくり返ってしまう。デッドを出した人はみんな一度は心を痛めて、なお、対策を練って再度ライブフィッシュに挑んでいる。シーバスという魚がどんな魚なのか。その一つの限界点を僕たちは見つけようともがいている最中だ。

昨年の結果や調査を基に今年の7月・8月開催は回避になった。これは実行委員の賢明な判断だと思う。おそらくどんなにお金を掛けて良い設備を積んでも、この時期のデッドフィッシュは免れないだろう。

そして今回は6月末の開催だ。僕自身も昨年の失敗を繰り返さないという気持ちだけで、内部循環と外部循環の両タイプのイケスを用意し、万全の体勢と自負できる状態で今回は挑んだ。

おかげで今回の魚はかなり元気だ。外部の新鮮な海水を常に流入し続けることや、イケスの中に水流を作ることでシーバスは呼吸がしやすくなり、体力の維持につながる。

 

 

それでは入れ替え開始だ。

ちなみにこの日の中央防波堤は全くと言っていいほどノーマークだった。壁には僕ら以外誰もいないし、写真の堤防にも五平チームなどの2隻程度しか魚がいなかった。

何しろパターンが難しかった。40センチ級の小さい魚は表層をミノーで引けばビシバシと入れ食いになる。

まずは壁際を一通り、ハチマルで流していく。たった数十mしかない壁で30本近いシーバスをヒットさせる。しかし、入れ替えできる魚はいない。みんな3歳魚だ。

しかし、2流し目。

壁際の水深4m。

リップレスベイトのスローロールに一回り大きい魚が反応した。

5:40、まずは52センチをキャッチ。45センチをリリースして入れ替える。これでトータル161。

6:15、再度、52センチをキャッチ。50センチと入れ替える、これで163。

 

バイトは表層に比べて少ないが、明らかにサイズが一回り大きい。これに期待して30分に一度しかバイトが無い壁際をひたすら攻めていく。

この日は6時が潮止まり。ここからが厳しくなる。通常のスローロールでは反応しなくなったので、ジャーク&フォールに切り換えて探っていく。水深3〜4mラインでの激しいジャークの後のフォール。バイトが出るのはフォールした瞬間だ。リアクションでバイトを誘っていくのでサイズは選べない。40センチ級の入れ食いとなる中、そこにいる魚をすべて根こそぎ捕っていくというつもりで、魚を掛けまくる。本気モード全開だ。キャスト精度もレンジ感覚もファイト感覚もすべてが研ぎ澄まされていく。

6:40、フォール中にひときわ大きなアタリ。電撃でアワセを叩き込む。すでに悲鳴を上げている状態の右手首に激痛が走る。それを我慢してテンションを掛ける。まずは浮かせて寄せる。そこから少しドラグを緩めていなしながらランディング。64センチ。

52センチと入れ替えて、トータル175になった。

先ほどから感じていたのだが今日は潮の効きが弱い。スタート直後、中央防波堤の壁から見ている限りでは20艇以上が沖に出ていった。となると、沖はおそらく厳しいだろう。

これはロースコアになるぞ。

魚をチェックする。全然元気。

まだ、ウェイインまで2時間もあるが、エラやヒレの動きを見ている限り、全く問題はなさそうだ。

かなりの好感触に欲が出てきた。あと1本スズキクラスが出たらもしかすると、する。

バイブレーションで、それこそ根こそぎ魚を捕っていく。

中央防波堤の壁だけですでに3時間。釣った魚は50本を越えている。

それでも手を緩めずにひたすら40センチ級を釣ってはリリースの繰り返し。2キャスト1ヒットを延々1時間。

ほとんど悪魔だ(笑)

 

 

やがて下げ潮が効き出した。魚の食いがいっそう高まる。ハチマルに変えてただ巻きだけで入れ食いの展開になった。しかし、サイズの良い魚が出ない。その下、その裏、考えられる限りのパターンを駆使して狙うが、釣れないか、40センチ級の入れ食いかだ。

途中、ようやく53センチを釣って52センチと入れ替え。トータル173、少しでも上に伸ばしておきたい。

 

 

8:00 いい加減良いサイズが出ない、壁をあきらめて大井埠頭に行く。ここも全くのノーマークなのか一艇もボートがいない。

大井でもひたすらフッコの入れ食い。

大井で釣っているうちにふと気づいた。いつの間にか非常に澄んだ潮が流れてきたのだ。

今まで沖にあった濁った潮、これが入れ食いの基本になるものだったが、澄んだ途端に魚が食わなくなった。

潮が変わった。

魚が心配だ。

 

ライブウェルを開けてみる。3尾のうち1尾がひっくり返っている。まずい。

内部循環式に切り換えてから、固形酸素を投入。

溶存酸素増加剤も入れて万全を期す。

すると回復した。とりあえず安心したが、ここは早めにウェイインして検量を早くしてもらおうということになった。

8:40に会場に入る。思った以上に船が帰ってきている。ウェイインカードを提出すると20番目ぐらい。

なんで?みんなずいぶんと早い帰着申請だった。イヤな予感がした。

9時にカード出さないと失格になるので、沖に出た人は時間が読めない分早めに帰っていたのかな、と考えた。

 

9時15分になって検量開始。

心配で魚を見守るが、1尾が弱りだした。黒く澄んでいる目玉に、黄色い縁が出てくると危険信号だ。それが出始めた。まずい、すでに内部循環式に切り換えて1時間。水がかなり悪くなっている。魚の粘りなどが分離して水を汚すのだ。こうなるとエラに粘膜がつまって呼吸ができなくなるのか、どうも弱ってしまう。

しかし、外の水はそれ以上に悪いらしい。沖から帰ってきて内部循環方式を持たないイケスの船から悲鳴が次々と聞こえてくる。酸素量が少ないのか、水温が高すぎるのか、まさに昨年7月末のTSC第3戦の光景が再度繰り広げられている。

それにしても今回は検量が遅い。魚が弱ってるせいでデッド判定に時間がかかるのだ。

そうこうしているうちに、9時40分に1本が絶命。最初の方に釣った59センチだった。

更に64センチまでが見る見るうちに弱りだした。

悪夢としか思えない。昨年と同様のことを僕はまたやろうとしている。あれだけの手間暇とお金を掛けて色々と作り上げてきたライブウェルシステムがあっさりと崩壊した。

 

大谷さんと僕で必死の蘇生をする。タオルで水の中にある粘膜を濾し、水流を直接エラに当てて粘膜を流すと同時に酸素も与える。

しかし、どうしようもない。64センチも目の縁が黄色くなり出した。

 

10:00 ようやく名前が呼ばれる。

僕は元気な53センチだけを持ってウェイインした。

同僚のメガバスチームは1時間半後の10:30に検量。ほぼ全滅に近い状態だった。

 

 

今回も数十本以上のデッドフィッシュが発生してしまった。

6月末でもダメ。万全な設備でもダメ。

次の9月もこうなることが予測できる。

 

 

TSCは壁にぶち当たった。

検量するのに時間が掛かりすぎることや、ウェイイン方法の改善など、もっと迅速化を考える必要がある。

しかし、それでもデッドフィッシュは出るだろう。今回も結局終盤に魚を捕ったチームが上位に進出するという傾向が顕著に出た。僕らのように序盤に魚を捕ったチームはデッド続出となった。その傾向をふまえて今年から5時間のトーナメントとなったが、それでも長すぎるのか。

 

しかし、6〜9月を避けて、トーナメントタイムを更に短くしたら、それこそ面白みも何もないトーナメントになってしまう。僕としてはやはり、シーバスのライブフィッシュ制はやめるべきでは無いかと思った。

もちろん年末の終了時に実行委員会で論議して決めてもらえばいいのだけど、何とか公平な形で不正が無い、新しいシステムを考えないといけないと思った。

 

「生きていたら準優勝でしたね。」

と、言う大谷さんの慰めの言葉に頷きながら僕らは会場を後にした。

 



 


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