- Stage12 - Top of Europe
仕事でスイスへ。
スイスはこれで5度目の訪問。
6年前、何もないところから始まったこのビジネスも思えば本当によく伸びた分野であった。
その一翼を担ったことに誇りを持ちつつ成田を発つ。
チューリッヒから電車で1時間の所にあるルッツェルン。
この街で大きな打合せがあるのだ。
その最中の一枚。昼休みに市役所前で。
まあ仕事の内容はみなさんにとってはどうでもいいことだろうから、書かないけど非常に有意義かつ不安の残る打合せとなった。
3日後にもう一度打ち合わせすることになり、ぽっかりと時間が空いた。
深夜1時までのパーティーの疲れも見せず、翌朝僕は勢いよくベッドから飛び出した。
ルッツェルンからゴールデンパス特急に飛び乗り、インターラーケンを目指す。
インターラーケンから乗り換えて、一度来てみたかった村、グリンデルワルドへ。
こっちの電車は窓が大きく開くので風も気持ちいいし写真取るのも気持ちいい。
奥に見えるのがヴェッターホルン3701m。心が躍る。
途中に出会った村。
こんな場所で老後を過ごすのもまたいいもんだろうなぁ。
アルプスと言えば、思い出すのがハイジ・・・ではない。
自分の場合は小説だ。
高校の乱読時代に何冊かの本に出会った。
新田次郎や長谷川恒夫など「山岳もの」と称する類の、それは手に汗握る男の命がけの闘いは、
今もなお興奮を持って語ることができるほど、若い自分にとって衝撃的な内容であった。
特に新田次郎の「アイガー北壁」と長谷川恒夫の「岸壁よ、おはよう」などは秀逸。
ルッツェルンから3時間、グリンデルワルドの駅に着いた。
そういや日本は三連休だ。おかげで団体旅行客が多い。
引退したじいさんばあさん達が目を輝かせて記念写真を撮っている。
三組の老夫婦の写真を撮ってあげる。写真は得意なんだ。
彼らの最高の思い出の一枚が僕が撮ったものでありますように。
そんな願いを込めながらアングルを決めた。
ホテルを探し、駅前のシングルホテルに泊まる。
安かったのはいいが、崖のすぐ側で景色もへったくれもあったもんじゃない。
荷物を置いて、街へ。
アイガーへ行こう。
そう心に決めていた。
街のどこからでもアイガーがそびえ立っているのがわかる。
正面に見えるのが北壁。
多くの命が散った。
そしてそれでもなお、多くの男が挑むのだ。
登山経験の無い僕が当然登れるわけがない。
だけど、どうしてもその岸壁に登ってみたかった。
であれば北壁の真下まで行ってみよう。
行けるところまで。自分の力でできるところまで。
MTBを借りて、街を疾走する。
正面に見えるのがアイガー このへんからの高低差3000mほど
アップダウンがきつくて、というか坂が極端すぎてMTBの意味がまるでない。
ほとんどの区間は降りて押しているだけなんじゃないかて感じで登っていく。
一歩一歩。だけど確実に近づいていく。
途中の日陰で休憩。水が旨い。
1時間も行くと、やがてアイガーの真下に広がる氷河が姿を見せ始めた。
初めて見る氷河にちと興奮。
紅葉も美しい。高度はおそらく1600mほど。
途中からはMTBをチーズ小屋に置いて歩く。
ひたすら歩く。
歩きまくる。
そしてアイガーの真下へ。
途中からは道無き道へ。
不安定なガレ場が時々背筋を寒くさせる。
転んだら、数百mは転がり落ちるだろう。
最悪の場合、死もあり得る。
一歩一歩に力と神経が入る。
この感じ、冬の河川のスーパーディープウェーディングに似ている。
どちらも死線という存在がある。
超えたら死ぬという一線。
何度か超えたことがある。しかし、幸いにも神は我を殺さなかった。
だからこそ、誰よりも、死線を恐れる。
そしてスタートから4時間。
ついにアイガーの真下へ到着。
自分自身の力だけで見事にたどり着いた。
ここまでは写真のような軽装備で来れるのだ(ちぃと無茶したが)
この辺で標高2000m程度。あと1970m登れば山頂だ。
真下から山頂を見た写真。
旗雲が出ているのがわかるだろうか。
あれが山頂である。ほとんど垂直。白いのは氷壁。
もちろん上まで行くつもりはない。
でもここまで来たのだ。
行けるところまで。
岩に張り付いた。
右手と左手で岩をつかみ、右足に力を込めて一気に体を地面から離した。
次に左足を岩の出っ張りに引っかけ更に両手を上に伸ばす。
身長分を超えるほど登ったところで、右手につかもうとした岩がぽろっと取れた。
その瞬間、背筋に電流が走った。
怖い。これ以上行くと死ぬ。
そんな思い。
死線に触れた。
死とはほど遠いくらいの乾いたそよ風が頬をなでていく。
ゆっくりと慎重に降りていく。
勢いだけで登ってきてしまった。
岩から降りても、それまで登ってきたガレ場や岩場の危険度の高さに思わずびびった。
慎重に慎重に降りて安全な登山コースまで降りた。
改めてアイガーを見上げる。
あそこまで行ったのか。
登山をする人が見たら笑うかもしれん。
でもこれが僕のベストなのだ。
3970mの2100mほどまで。
しかし、最後の壁の標高差1800mのうちのたった3m。
これが釣りばかりしてきた自分の限界なのだ。
でも十分満足なのである。
帰りに寄り道して見たバッハアルプ湖の風景。
それは美しい山上湖だった。
マスがいたんだ。タックルがあったらねぇ。
帰り道、キャンプ場に迷い込んだ。
ヨーロッパのキャンプはキャンピングカーが主体。
みんな長期滞在といった感じでのんびりと楽しんでいる。
キャンプ好きの僕としては羨ましいなぁと眺めながらMTBを押して歩いていたら、入り口付近に一人用のテントが。
そこにいるのは日本人だった。
「こんにちは」
そう話しかけると同じ答えが返ってきた。
興味津々で僕は色々と聞く。
彼は見たところ僕と同じ歳頃。
イタリアのローマでMTBやテントを買って、質素なキャンプ生活でアルプスを越え、スイスまで来たと言うことだった。
彼が入れてくれたインスタントコーヒーがアホみたいに旨い。僕も相当水分に飢えていたようだ。
この先はどこに行くのか?
僕は何となく聞いた。
彼の答えは
さあ?
だった。
カッコイイよな、ちくしょう。
僕は嬉しくなってキャンプ場を後にした。
夜はソーセージとビールをたらふく口に入れてさっさと就寝。
そう言えば、渡航歴もかれこれ20回以上になるし、のべ滞在日数もかなりのものになると思うのだが、いまだに雨に当たったことがない。
だからおかげで傘という概念がない。
雨は日本でしか降らないのである。
理屈ではそんなことないとわかっているけど、感覚ではそんな感じになってしまっている。
しかも、この記録、まだ続きそうだ。
またもや快晴の空。
気分良くモーニングを食べてクライネシャイデック行きの電車に飛び乗る。
山を駆け上がるユングフラウ鉄道。
こういう情緒ある写真を撮るのが好きなのだ。
そして1時間ほど乗ると最後の駅は
トップオブヨーロッパ。
それはすごい世界。
アレッチ氷河。何十万年も流れる時間の貴さに、記念品を投げ込んでいく人が多い。
ガラス瓶に便せんを入れて雪に埋める。
何十万年後に凍り漬けになったその瓶を遠い子孫が拾うかもしれないのだ。
確かにロマンはある。
あるが、きっと歴史は僕らの時代を環境破壊の時代と呼ぶだろう。
その環境破壊の一つの証拠として笑われるに違いない。
4158mのユングフラウをバックに
クレパスにびびりつつ、氷河の上を歩き回って宿へと戻った。
夜、久々にいい女に出会った。
町はずれの画廊で山の綺麗な絵を見ていた時だった。
後ろから「こんにちは」と話しかけられた
振り向くと日本人だった。
背がすらっと高くて、それで美人だった。
そこからの立ち話。
彼女は画家になることを目指して、やっぱり海外を歩き回っているのだそうだ。
2年前にスイスに来てこの画廊でずっと働きながらアルプスの山々を書き続けていると言う。
何だろうな。男でも女でもカッコイイ生き方してるやついるよね。
彼らは生き抜いてる。
朝起きて会社行って仕事して夜はビール飲んで、休みの日は子供と遊んで・・・これも「生きてる」
でもキャンプ場で出会ったやつといい、彼らは「生き抜いてる」
人生を生き抜いてるんだ、と思う。
そして自分もそうでありたい、と。
とっておきの美味しいチーズを出してくれる店があると盛り上がって、
お店を閉めて一緒に夕食を食べに行ってくれることになった。
アイガーの話で盛り上がった。
俺は今まで高尾山くらいしか登ったことないのに、あのアイガーに3mも登ったんだ、と。
素敵ね、と彼女は言った。
アイガーの背負う壮絶な歴史がなければ僕のやったことなんて無意味も同然だ。
だけど、彼女にも「あのアイガー」がわかるのである。
いい女に素敵と言われると、男はやはり嬉しい。
すっかり舞い上がった。
帰り際、バーみたいな店があったので飲み直すことに。
入った瞬間は良い感じだったが、レミーマルタンを頼んだところで日本人の中年のおっさん達が入ってきた。
するとなんと、カラオケが出てきたのである。
おっさんたちは大喜びで数枚しかない曲名リストにかじりつき、やがて流れてきたのが「他人酒」
スイスまで来て「他人酒」である
別に悪いことではないけど、なんかねぇ。
参ったな。
レミーを飲みながらそんな顔をしていたに違いない。
彼女はもっと落ち着いて飲める店があると耳打ちしてくれた。
そして僕たちは朝まで飲みまくったのである。
翌日は再度、ルッツェルンに戻ってスイスの会社と打合せ。
最高のリフレッシュ。体は筋肉痛だが、楽しい海外出張だった。
最後に長谷川恒夫が残した言葉を。
『山は自己表現だ。自分が一歩前へ進まなければ決して登れない。主体性がなければ何もできない。そういう意味で、落ちこぼれの子供が始めた山登りは、ぼくの青春への出発点だったのかもしれない。』
ものごとの真理は、山でも海でも人生でも変わらない、と思う。
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