- Stage17 - 〜 2005年2月 雪の中で 〜
うちの母方の家系は新潟では有数の由緒正しき大地主だったらしい。
だからか知らないが、ひいじいちゃんは日本石油の創業者である。
その名残は遺産とか土地という点ではもうあまり残っていないみたいだが、当時のそれを窺わせるものとしておばあちゃんの家がある。
とにかく大きな大名屋敷。それが僕にとってのおばあちゃんち。
その大名屋敷は夏は最高だったが、とにかく大変なのは冬だった。
雪の日のあの静けさの中、雪の重さにミシミシときしむ柱の音とストーブのかすかな燃焼音。
閉塞感の中の団らん。
それが自分にとっての冬のおばあちゃんちである。
そして翌朝の雪下ろし。
まるで役に立たない子供でも屋根の上から降ろされた雪を運ぶくらいはできる。
運んでる側から降り積もる雪。
その途方もなさに子供心でもその大変さが身にしみて解っていた。
中学、高校生になって、ようやく雪の季節に役に立つお年頃。
だけど、親も先生も社会もみんな歪んで見えた。
馴れ合いばかりのクラスメートには苛立ってばかりで、だけど、きっと自分だけは違う気がして、ひたすら本の中の世界に入り込み、自分が生まれてきた意味を探していた。
その意味への到達は他界との完全なる拒絶が必要だった。
周りの人を全て遠ざけようと、バイクにまたがった風の中で、本のフレーズを脳裏に浮かべていた日々。
冬になると、大雪のニュースが流れるたびに家族は新潟へ出かけていった。
母も妹も出かけていった。
だけど、僕は行けなかった。
心では痛いほど解っていたんである。
だけど、どうしても行けなかった。
そして何年か経っておじいちゃんの葬式で久々に冬のおばあちゃんちを訪れた。
新潟の空は哀しいほどに白い雪をたくさん降らせた。
翌朝、僕は早くから起きて玄関の前の雪を必死に運んだ。
その雪はとてもとても重かった。
雪の重さは涙を吸ったのだろうか。
それとも後悔の念があまりにも大きかったのだろうか。
中越地震の災害地で除雪ボランティアを募集している話を聞いて、仲間を募って出かけた。
何でも今年の新潟はとにかく雪が多いらしいのだ。
2月の3連休初日。早朝4時半に家を出る。
しかし、想像以上の渋滞。6時間経ってもまだ雪国に入れない。
集合時間も過ぎ、残念だが当初の目的をあきらめた。
でも雪国は目指そう。せっかくだから遊ぼう、そう声を掛けた。
山奥に入る。
昨晩からずっと降ったらしい新雪は優に50cmを超えていた。
そこにテーブルとチェアをおもむろに持ち込む。
テーブルはダイニングサイズなのだが、新雪の上なのでちゃぶ台と化した。
男の料理もいいが、やっぱり女の子が一所懸命作った料理はうまい。
芯まで暖まるパワーが違う。かわいいこならなおさらね。
ちなみに後ろのトンネルが今年の凄まじい積雪量を物語っている。これじゃ通れんぞ。
具材を炒めたらそこら辺の真っ白な雪をかき集めて鍋の中に山積みし、ツーバーナーで溶かす。
今日はけんちんうどん。
あとはダシを取って、つゆを決めて、うどんを放り込む。
屋外のうどんはマルちゃんの生うどんがうまい。
鍋に直接放り込んで暖めるだけでいいし、なかなか伸びないのもいい。
その頼りがいは、シーバスで言うところのヨレヨレのような存在感だ。
完成。
冷厳なる風貌の谷川岳の麓に、ボランティアに行けなかった連中の、やけくそなうどんが突如出現する。
だけど、うまそーならいいのだ。
そーすけは叫んだ。「ちくしょー、うまいっ!」
あんちゃんも一目置くヘビメタ男、メタル塾のくま。
何も言わずうどんをすする。
うまいうまいと泣きそうな顔で笑いながら喰う姿に、さすがの冷たい雪もさぞかし照れて少しは溶けただろう。
と言う訳でそのうちリベンジを誓って、温泉に入って東京へ。
除雪ボランティアはマジで足りておりません。
越後川口町では県外ボランティア募集しています。
お暇な人はぜひ。
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