2008年8月
- Stage24 - しっかり夏を遊ぶ。
「 昌憲が、昌憲の遊び心を愛せば愛すほど、
昌憲の思いは伝わり、形となっていく。 」
7か8年ほど前、路上詩人で活躍していた軌保
博光(のりやす ひろみつ)氏の個展を見に行った際に書いてもらった言葉。
あの時、彼は何百人という列の一人一人に言葉を書いていた。
僕の番が来たとき、彼は少し座った目でじっと僕を見た。
僕は目をそらさなかったが、彼が何かを感じようとしているのがわかったからこそ、なぜか僕は心の気配を消した記憶がある。
彼は下を向いて急に筆を取り、和紙に上に書いた言葉を書いた。
もらった時は、正直なところ、意味がピンと来なかった。
が、あれから8年。
今ではこの言葉こそ、自分の生き様であるとよぉく解るのである。
自分自身の最大の魅力は遊び心である。
その遊び心こそが、仕事でも何でも、可能性を切り開き、大きな原動力となる。
そして、その結果のオリジナリティが評価されていく。
仕事とはまじめにやるものだと信じて疑わなかった時、それはどうしても解らなかった。
が、仕事に遊び心を取り入れることの重要性に気付き、特に自分の場合はそれこそが何もかもがうまくいく方法とわかってから、大きな成功を収めてきた。
人間関係でも、基礎にこの言葉をしっかりと反映させていくと、うまくいくのである。
こうして、あの時の和紙は今は僕の机の上にどんと張ってある。
そして、2008年の夏。
数年ぶりにしっかりと遊んだ。
会社の環境、個人的な環境ともにしっかりと遊び込める状態だった。
一つ一つのステキな思い出を並べてしまうのは野暮なことかもしれないけど、サイトを全然更新してないから、せっかく毎日見に来てくださる皆さんに近況報告かねて。
ボートから見る花火大会。
今年は横浜、江戸川、東京湾、と3つの花火大会に。
大きいのが好きだが、何より花火の乾いた音が好き。
釣りは毎週のように。
このマダイが一番嬉しかった。
ヤマリア、シーフラワー60gにて。水深27m、ボトム放置メソッド。
最近、我が人生における釣りということに対する考え方が変わった。
詳しくはまた今度。
シイラは例年通り、少しだけ。
シイラが釣りたいんではなくて、シイラが連れてくる夏の海が見たいのだ。
それは子供の頃の毎日のように行った海水浴の記憶へとつながっている。
いつだってバーベキューは豪快にやりたい。一点豪華主義。
本当に美味いものって、探すのではなくて、自分たちで作るもの。
それはいい素材と環境と、もう一つ、笑顔が揃ったとき、だからだ。
花火に見とれるレディ達。とってもノリが良いのに、聡明で品のある方々。
そういう人がとても好き。
自分が自分の遊びを追求していくと、一緒になってそれを楽しんでくれる人がいて、その人たちでできていく輪が、どんどんと大きくなっていく。
気付くと、大型の台風の目のように、真ん中らへんに自分がいて。
自分が楽しいと思うものを、どんどんとその中に放り込んでいくと、それはもっと大きくなって帰ってくる。
放り込む作業はとても大変なんだけど、5倍にも10倍にもなって帰ってくるからたまらない。
あまりに暑いので、1週間は信州の高原に。コテージで自炊生活。
嫁さんはゆっくりと休んでもらって、全ての食事と家事を自分でやる。
その合間に釣りと読書。晴釣雨読。
薄暮の時間が好き。
学生の頃は、夏の夕方の薄暮が好きだった。
日が暮れて、空が藍色に染まっていく。
だけど、それはとてもとてもゆっくり変わっていく時間。
そして、とても静かな時間。
昼間のセミが息を潜め、ヒグラシだけがたまに鳴く、とても静かな時間。
目を走らす本の紙の色が徐々に藍色に染まり、やがて字と同化して見えなくなる。
それが夕ご飯の合図だった。
今は朝の薄暮が好き。
夜が明けて、川底が目に見える明るさになった頃に川に入る。
そこからは、川の流れだけがあって。
無心で川だけしかない時間を過ごす。
川に日が差してくるまでの、とても秘密めいた時間が好き。
日が差した合図は、嫁さんがそろそろ起きる頃。
さあ、宿に戻って朝食の準備だ。
朝から天然のヤマメやイワナを食べられる幸せ。
食べる分だけキープして、後は全てリリース。
そしてこの夏最大のイベント。
二艇目購入。
やりたい釣りがたくさん。
以上、2008年の夏。
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