1989年、高校生の夏。荒川。
初めてルアーで釣ったスズキは70センチほどの大きさだった。
それ以来、僕はこの釣りにのめり込んだ。
それから何尾の魚に出会っただろうか。
一期一会。
一尾一尾の魚を釣る度に多くのことを学ばせてもらってきた。
その経験は積み重なり、やがて、あるひとつのスタイルが完成した。
その名はヘビカバスタイル。
先調子のヘビーなロッドとPEラインが特徴の超攻撃型スタイル。
スズキはバレやすいからと、胴調子のロッドにナイロンラインが常識と言われていた頃、それとはあまりにもかけ離れたスタイルだった。
このスタイルの基本はストラクチャーに付いた大型魚を狙うスタイルであった。
キャスティングコントロール、ルアーコントロール、大型を引きずり出すパワー。
このスタイルに必要な3つの要素を昇華させたら、そこに行き着いたのだ。
マッチ・ザ・ベイトが通用しないストラクチャーの中の釣りで、 大小さまざまなプラグを自在にコントロールし、 多くの釣果を出し続けたこのスタイルは多くのアングラーに影響を与えてきた。
他の先輩プロにはたくさん批判され続けたが、このヘビカバスタイルこそ、この釣りに向いていると確信を持っていた。
ヘビカバスタイルは経験と共に進化を続けた。
もっと釣るために。
東京湾の生態までも徹底的に調べ尽くす日々。
そして潮の動きから東京湾を回遊する群れの動きを予測し、迎撃するスタイルを融合することに成功。
それは数が全てと言わんばかりに圧倒的な釣果を叩き出す事に成功するようになった。1996年の頃だ。
陸っぱりだけで年間2000尾近くのスズキを釣り上げる年が数年間続いた。
そして、ヘビカバスタイルはその釣果だけでなく、数多くの大会で勝利をもたらした。
1999年。 やがて、転機は訪れる。
数から型へと。
ヘビカバスタイルは、超弩級ランカー攻略に挑んでいくことになる。
2000年秋、まだ先調子のロッドというと、バスロッドしかない中、先調子のロングロッドを開発し、そのヘビカバスタイルで川や干潟の流れを攻略していく日々。
最終的に、東京湾奥で96センチを頭に多くの80センチ超を仕留めることができた。
このスタイルが更に進化した事が証明されたシーズンでもあった。
その年以降、毎年の様に東京湾奥で90センチ級をキャッチすることが可能になった。
数は釣れるが型は出ないと言われていた東京湾奥の定説すら覆えしたのだった。
そして感謝。 豊かな東京湾への尽きない想い。
ただただ、畏敬するばかりの最高の魚、スズキ。
この魚に出会っていなかったら僕の人生はこんなに豊かだっただろうか。
この魚のことを知れば知るほど、この魚が好きになった。
自然、環境、人、そして魚。
数を釣るのが偉いわけでもない。
型を狙うのが偉いわけでもない。
17歳の夏から始まった僕とスズキの長いつきあい。
そこからこんなスタイルのシーバスフィッシングができあがった。
シーバスフィッシングを楽しむ人が増えている。それはすごくうれしいことだ。
様々なルアーや攻略法が開発され、どんどんと釣りやすくなっているように思う。
しかし、この先の魚を取り巻く環境が心配だ。
全ては魚あってこその釣り。 そして魚は確実に減ってきている。
僕たちの子孫にこの魚を残したい
魚を釣るためのテクニックならいくらでもくれてやる。
だから、その前に魚を生かすテクニックを覚えて欲しい。
多くの釣り人が魚を大事にすれば、 この魚とずっといつまでも遊ぶことができる。
真剣にシーバスフィッシングを追求するアングラーにこそ見て欲しい。
そして自分自身のシーバスフィッシングスタイルを確立するうえで、 このヘビカバスタイルが良き参考になれば幸いである。
2000年 12月 村岡昌憲
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