AreaXXX - Stage2 〜山奥のヤマトスズキ〜
2009年7月29日 青森県山中
北の飛翔体が日本の上空を越えていったあの日。
{郷と名乗る男}は確かにその言葉を残していった。
ヤマトスズキ という名前。
その後、村岡は仕事の合間の時間を使って、多くの大学や水産試験所等を尋ねて回ったが、一向に有力な手がかりは得られなかった。
ひとつだけ、ヤマトスズキという名前が出ていた文献があった。
それはリチャード・フィスクという米国人が書いた本の一節にヤマトスズキに関する記述が書かれていたのだ。
その一節にはこう書かれていた。
「ヤマトスズキは真珠の海でアリゾナと共に滅びたはずだ。」
「真珠?アリゾナ?」
村岡はそうつぶやき、しかし、結果として何も得ることもできないまま、その本を閉じた。
それから2週間後、例の携帯電話に{郷と名乗る男}から連絡があった。
「青森へ向かえ。」
「青森だと?なぜ青森なんだ。」
「十和田湖の傍だ。今夜には青森へ向かうんだ。」
「なぜ、青森なんだ。答えろ!」
{郷と名乗る男}の返答は無いまま、電話は切れた。
村岡はチッと舌打ちをして、家に帰り、青森へ向かう準備をした。
村岡の家内に行き先は告げなかった。
余計な心配はさせたくない。何かとても大きな事に巻き込まれつつあるのではないか、そんな実感があった。
深夜2時、栃木県を走行中に、また{郷と名乗る男}から村岡に連絡が入った。
「奥入瀬渓谷の奥だ。そこで一人合流する。俺も向かっている。」
「誰が合流するんだ。」
村岡は答えを期待せずに聞いた。
「クリー一族だ。おそらく長男が来るはずだ。」
珍しく{郷と名乗る男}が答える。
「クリー一族?なんだそれは。」
「ヤマトスズキを守りし、一族だ。」
「守りし?」
「そうだ、はるか昔からな。」
そう言って{郷と名乗る男}は電話を切った。
村岡はため息を一つついて、深夜の東北道を北へと飛ばした。
東の空が薄桃色に輝き出す頃、銀色のBMW−X5が谷に架かる橋の上に止まっていた。
ようやく一息を付いたかのように、V8−4.8リットルエンジンがキシキシと冷却音を上げている。
その冷却音以外の一切の音は無い静寂がそこにはあった。
その静寂の中に、ようやく一人の男の声が発せられた。
「美しい・・」
村岡はそうつぶやいて、しばし紫煙をくゆらせながらBMWに寄りかかり、夜明けを眺めていた。
大気はきんと冷え、5月だというのに頬が張り詰めるほど空気は澄んでいた。
村岡は大きな深呼吸をし、長時間運転で張った背中をほぐそうと背筋をぐいっと伸ばそうとしたとき、村岡の耳にかすかな音が飛び込んだ。
それは車のエンジン音だった。
「この音はアウディQ7。3.6FSIクワトロだ。」
村岡の背後に突如、声が響いた。
慌てて振り返るとそこには{郷と名乗る男}が立っていた。
「まだまだ山一つ向こうだがな。」
そう{郷と名乗る男}はつぶやいて、タバコに火をつけながら村岡の元へ歩き出した。
「いつからそこにいたんだ。」
「昨日の晩からな。」
「ここにいったい何があるんだ?」
「おっと、お出ましだぞ。」
そう、{郷と名乗る男}がタバコの先を左の方向へ示す。
白色のアウディが颯爽とコーナーを駆け抜けてきた。
そして村岡の車の後ろに止まる。
「久しぶりだな。」
{郷と名乗る男}がそう言って少し微笑んだ。
アウディから一人の男が現れた。
背は高くないが、恰幅がいい。
深くかぶった帽子の奥に鋭い眼光が見える。
「{郷と名乗る男}か。」
低くくぐもった声で男は車のウインドウを下げて聞いた。
「そうだ、ヤマトスズキを手に入れにきた。」
{郷と名乗る男}が答えると、帽子を深くかぶったまま、男は再度聞いた。
「例のものはあるんだろうな。」
「ああ、間違いなく用意した。」
そう言って{郷と名乗る男}は背中のリュックサックを降ろすと、体の前で揺らして微笑んだ。
「ベータを用意したんだろうな?」
「残念ながらベータではない。が、よりいいものだ。」
{郷と名乗る男}の答えに男は若干の失望を顔に浮かべ、しかし黙ったままそっと手を前に差し出した。
{郷と名乗る男}は、つかんでいるリュックサックをくるりと逆さまにして、振った。
ガシャガシャ!
黒い物体が地面に落ち、そして散らばる。
男が慌てて{郷と名乗る男}の前に駆け寄り、その一つを手にする。
「愛か。」
「そうだ、愛だ。」
「名作だ。契約成立だ。」
男はその一つを手に取り、興奮を抑えきれない様子で{郷と名乗る男}に話をしている。
村岡はそれを横目で見ながら、先へ進む準備をしていたが、
「俺を呼んだということは、また釣りをする必要があるのか。」
と叫ぶように{郷と名乗る男}に聞いた。
「そうだ、ヤマトスズキを釣って欲しい。」
「ヤマトスズキは淡水魚なのか?ここは海から100km以上あがったところだぜ?」
「いや、ヤマトスズキは海水魚だ。」
そう口を挟んだのはアウディの男だった。
「クリーと呼んでくれ。」
そう言ってアウディの男は村岡に近づき、右手を差し出した。
「ああ、村岡だ。よろしくな。」
村岡もクリーに近づき、固い握手をした。
「ところで、クリー。なぜこんな山奥に海水魚がいるんだ?」
「それは・・・」
クリーは{郷と名乗る男}をちらっと見やった。
{郷と名乗る男}は黙って頷いた。
「話せば非常に長い話になる。簡単に言えば、前の戦争の時にヤマトスズキは日本の海から完全に滅ぼされようとした。
それを守るために日本政府は青森の奥に人造の海水湖を作り、ヤマトスズキを放したんだ。」
「ヤマトスズキを守るため?誰がヤマトスズキを滅ぼそうとしたんだ?それにじゃあ今いるスズキはなんなんだ?」
「話せば長いと言ったろう。早く出発するぞ。」
そう、話を遮ったのは{郷と名乗る男}だった。
一行は{郷と名乗る男}の車に相乗りし、山奥へと向かった。
途中、工事中と書かれたカギの掛かったバリケードを外し、更に林道を奥へと進んだ。
激しく揺れる車の中で村岡はヤマトスズキについていくつかの話を聞くことができた。
アメリカは、日本に戦争で勝った際に、日本にいる固有種を全て滅ぼそうとした。
アメリカザリガニを放ち、日本の里からニホンザリガニを駆逐したように、日本の固有種のほとんどを滅ぼしたのだ。
それに対抗して日本政府はいくつかの生物に絞って、その固有種を守ろうとした。
その一つがヤマトスズキであった。
アメリカが作ったマルスズキが海に放たれたらヤマトスズキは生態系から駆逐される。
ヤマトスズキは日本各地の海から離れた山奥の人造海水湖、他国の海などに放された。
その後、それを守っているのがクリー一族であった。
クリー一族は戦後から日本各地に散らばり、ヤマトスズキの行く末を見守ってきたのだ、と。
しかし、近年アメリカが日本政府の策略に気付き、ヤマトスズキの駆逐を再度仕掛けているという。
「なぜ、ヤマトスズキはそこまでして駆逐されないといけないんだ?何か特別な力があるのか?」
村岡の質問に、クリーは静かに答えた。
「ヤマトスズキに特別な力はない。いつの時代も強い文明は弱い文明を全て飲み込んでいく。ただ、それだけだ。」
「じゃあ、なぜヤマトスズキを日本は守ろうとしたのだ?」
「日本人の心の象徴だからだ。戦後、いくつかの象徴は姿を消し、日本人の心は荒廃しつつある。
現状の政治・経済・教育の崩壊はお前も知っているとおりだ。」
そう、クリーは遠い目をして答えた。
「それでは、他に残された象徴とはなんだ?ヤマトスズキ以外にもそういう魚がいるのか?」
「魚はいないとされている。確実に残っているのは桜だ。木は育つのに長い年月がかかる。アメリカも手出しはできなかったらしい。」
「そうか、日本人が桜を毎年のように慕い眺めるのは、その何かを感じているからなのか。」
「その通りだ。」
車が突然急ブレーキを掛け、土煙が車を包んだ。
「ここからは徒歩だ。川を上がるぞ。」
そう、{郷と名乗る男}が口にした。
太陽が山間からまさに顔を出すタイミングだった。
一行は川をひたすら上った。
途中の食事は全て現地調達ということで村岡はロッドを振りながら川を遡った。
サイズのいいヤマメが次々とかかってくる。
「それがヤマトスズキではないのか?」
{郷と名乗る男}が聞いてきた。
「これはヤマメという魚だ。というよりお前そんなことも知らないのか?」
村岡が苛立って答えると、クリーが
「だが、それも日本のヤマメではない。ヤマトヤマメは絶滅した。」
「なんと!」
村岡は釣ったばかりのヤマメを見ながら、口笛を鳴らした。
一行は日が暮れるまで川を上り続けた。
川が合流する度に、クリーが川の水の味を確かめ、かすかな塩分濃度で沢を選んだ。
「今夜はここでテントを張るぞ。」
{郷と名乗る男}が口にし、一行は一夜を過ごした。
翌朝、さらに川を登り、やがて山頂に着く。
「もう少しだ。」
クリーが、一向に向かって大きな声を出す。
今度は壮絶な山下りが始まった。
3人は黙々と山を歩き降り続けた。
「おお。」
1時間以上の沈黙の後に声を上げたのは村岡だった。
「ここで休憩しよう。」
そう言うと、村岡はポケットからタバコを出してすぐ口にした。
「そろそろ行くぞ」
{郷と名乗る男}がまた歩き出す。
「あとどれくらいあるんだ?」
村岡があわててザックを背負いながら聞く。
「もう少しだ。」
クリーはそれだけ答えてまた歩き出した。
「もう少し、もう少しってさっきからずっともう少しじゃないか。」
村岡はぶつぶつ言いながら二人の後を追っていく。
一行はやがて小さな滝に出た。
周囲は岩盤が覆い被さるようなゴルジュ帯だ。
「小さな滝がいくつかある。それを登れば山上海だ。」
クリーがそう言うと、
「山の上の海で、山上海か。まるで中華料理屋の名前だな。」
鼻で皮肉を言って、滝に取り付いた村岡に向かって、クリーが小石を投げる。
小石は村岡の足元に当たり、村岡は大きな音と共に滝壺に落ちた。
びしょびしょになった村岡が岸に慌てて上がる。
「うわっちくしょー!なにすんだ!」
水面に出た村岡がクリーに向かって滝壺の中から怒鳴った瞬間、{郷と名乗る男}が叫んだ。
「20mmだ!伏せろっ!」
{郷と名乗る男}とクリーが、人間とは思えない俊敏さで左右に飛び跳ねる。
その二人がいた地点の岩がバリバリッと砕ける。
村岡は、{郷と名乗る男}の叫び声が聞こえなかったが、二人の動きと地面から飛び散る岩の破片に事態を察し、水の中へ再度沈んだ。
「まずい!」
岩陰に隠れた{郷と名乗る男}が叫び、背中のザックからベレッタM92INOXを取り出し、クリーへ投げた。
ベレッタはクリーには届かず、クリーの前の岩場に落ちた。
クリーは素早い動作で転がりながらベレッタを拾うが、その瞬間、クリーの周囲の岩が砕け散る。
ガン!ガン!
{郷と名乗る男}が機銃の射手がいると思われる茂みに、同じ銃を撃ち込んでいる。
銃を持ったクリーが岩陰に再度転がり込んだ。
クリーは左右の腕から赤い鮮血が流れ出ているを見て、舌打ちをしながら自分の上の茂みをにらんだ。
村岡は、息が続かず再度水面に飛び出た。
しかし、川の流れが速く、岩陰に張り付いていられない。
「撃たれるぞ!岩に張り付け!」
「どこだっ!」
{郷と名乗る男}が叫びながら、ベレッタの自動式を撃ち込み、更に叫んだ。
「村岡!早く上がれ!」
{郷と名乗る男}が何発か、茂みに撃ち込み、攻撃が止んだ隙に、クリーが素早くロープを投げ、村岡は慌てて岸に上がった。
3人は岩陰に張り付きながら、それぞれ上をにらんでいた。
「参ったな、向こうさんの場所が解らないぞ。」
その時だった。
上の茂みの一つからバリバリバリ、と機銃の音と光。
滝の途中に着弾した20mm弾が金属的な音を立てて小石を飛び散らせる。
機銃の光ったところに向けて、{郷と名乗る男}がベレッタM92を撃ち込む。
ガンガンガンガン!4発を撃ち込んで、{郷と名乗る男}は立ち上がった。
上から、二人の男が崖を落ちてきて、ドボンと大きな音を立てて滝壺に落ちた。
どうやら弾が命中したらしい。川の色がパッと赤く染まる。
「米兵!?」
村岡は落ちてくる男達の制服を見逃さなかった。
「きゃっ!」
その時、妙な声がして滝の上から人が滑り落ちてくる。
{郷と名乗る男}とクリーがすかさず銃を向けるが、撃たない。
「女?」
村岡はきょとんとして、女の動きを見ていた。
「もう、危ないったらありゃしないわ。」
女はそう言って、岸に上がってきた。
「リンダ、来ていたのか。」
{郷と名乗る男}が銃を下ろし、岸にいる女に手を差し出した。」
「ああ、和ちゃん。来てくれてたんだね。いつも優しいね、ありがとう。」
「和ちゃん? んんん?」
村岡が事情を察し、ニヤリと笑うと{郷と名乗る男}は無言で村岡に銃を向けた。
村岡は首をすくめて後ろに下がる。
「しかし、なぜ米兵が。」
クリーが米兵の死体を引っ張って一行の足元へ置いた。
「海軍だ。もしかしたらこの先は危ないかもしれないな。」
{郷と名乗る男}はそうつぶやいて、ネームカードを見ていたが、やがて立ち上がって、
「行くぞ、長居は無用だ。」
そう言って滝を登り始めた。
一行も後に続く。
滝の上で、{郷と名乗る男}は一行に今後の予定を告げた。
この上の山上海に入るのは深夜、朝マヅメのワンチャンスで釣りをするとの計画だった。
そして深夜、一行は一つ滝を登る。
月明かりの中、村岡の目に映った景色は衝撃的なものだった。
「こりゃ、ホントに海だ。こんなものを山奥に作ってしまうなんて」
村岡はそう言って、風表の波立っているエリアを釣り場に選んだ。
岩に当たった波が絶好のサラシを作り出している。
「これが海なら、ヒラスズキってとこだな。」
村岡はつぶやきながら、一投二投とルアーをキャストする。
「?」
村岡はふと違和感を感じて、手元にたぐり寄せたルアーをペロリと舐めた。
「ありゃ、淡水だよ、これは。どうりでルアーの動きが変だと。」
「なに!?」
クリーが慌てて岩を降りて海水を手にすくって口にした。
「な、何と言うことだ。山上海が淡水化されている。」
クリーが震えた声で叫んだ。
「じゃあ、ヤマトスズキは・・・。」
リンダが不安そうな声で{郷と名乗る男}に聞く。
{郷と名乗る男}は首を横に振って、
「米軍の仕業だ。まずい、そうこうしている時間はない、早く麓に戻るぞ。」
一行はその後、休まずに麓まで降りた。
その間の米軍の攻撃は無かった。
里の川は淡々と水を湛えて流れている。
村岡がちょちょいと竿を振り、イワナを何匹か釣って一行に声を掛ける。
「これで美味いもんでも食べようぜ」
そう言って、あっという間に岩魚の煮付けをこしらえた。
「こりゃうめぇ!」
村岡は久々のご馳走にがっつくようにして食べていたが、ふとクリーに声を掛けた。
「なんだ、クリー食べないのか?」
クリーは芝生に寝転がったまま、無言のままだった。
「なんだ、寝ているのか。じゃあ、全部食べちゃおうか。」
村岡がそうリンダに向かって話しかけると、クリーが口を開いた。
「俺の分も食え、俺はもうじき死ぬ。」
「ぐふっ、死ぬ?どうして?」
村岡が驚いて聞き返すと、{郷と名乗る男}が村岡の前に立ち、
「それがクリー一族の掟だからだ。代々、守り継いで来たものを守れなければ死ぬ。」
「そんな。」
リンダが困惑した表情を見せたが、
「ちょっと眠らせてもらおうか。少し血を流しすぎたみたいだな。」
そうクリーは言って目をつぶった。
そして二度と目を覚ますことはなかった。
「じゃあ俺も寝ようっと。」
{郷と名乗る男}がクリーの死を何とも思わないようにウェーダーを干して、すぐ寝る。
村岡はヤマトスズキはどうするんだ、という疑問を抱えつつも、それを聞く相手がいないので、しばらくはぶつぶつとつぶやきながら寝ころんでいたが、やがて深い眠りに落ちていった。
数時間後、村岡とリンダが起きると、{郷と名乗る男}はクリーの埋葬をすませた後だった。
「クリーには弟がいる。そしてその場所にはヤマトスズキがいる。」
「なに?まだヤマトスズキがいる場所があるのか?それはどこだ?」
村岡がすかさず聞くと、{郷と名乗る男}は車から地球儀を出した。
「そうだ、アリゾナは真珠の海に沈んだ。」
「ん?アリゾナってなんだ?地名だろ?」
そう、村岡が疑問を口にした瞬間、リンダが叫んだ。」
「そうだ、戦艦アリゾナ!」
{郷と名乗る男}が黙ったまま頷く。
村岡も表情を変えて叫んだ。
「そうか、真珠湾だ!」
{郷と名乗る男}は地球儀を回して、一点を指差した。
村岡とリンダは同時に声を上げた。
「ハワイ!!」
村岡は叫んだ。
「ヤマトスズキがハワイに!?」
続く・・・
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